2012年1月10日 (火)

天白サイホン

朝穂堰の続きですが・・・。

水は高い所から低い所に流れるのはだれもが知っていることではないでしょうか?

山あり谷ありの場所で水を流すにはどうしていたのだろうか?そんなことを考えていたら、「天白サイホン」の看板が目にとまりました。
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さて、行ってみると、昭和50年の天白サイホンのプレートがありましたが、堰の姿は途中で見えなくなってしまい・・・。反対側の山の斜面を見てみると、堰の続きらしきものが見えます。
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一度、谷に落として、反対の山の斜面に水を上げているのです!
まさに、サイホンの原理を使った技術です。しかもこの技術、すでに江戸時代にあったのですから驚きですよね!

先人たちの知力が大地に刻まれている私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 9日 (月)

風越の柳沢神社

柳沢神社というと、奈良県の大和郡山城跡にあって、明治13年、かつての大和郡山藩士が郡山に初めて入城した柳沢家一代目の吉里とその父吉保を祀って創建したものです。

なぜ、奈良県の神社がここに祀られているのでしょうか?

実は、穂坂堰が作られた頃、甲斐の国は柳沢吉里さんが実権を握っていました。穂坂堰を作る許可も、地元の請願を受けた吉里さんがOKしたということになります。
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穂坂地域へ水が供給されるようになったのは、柳沢家のおかげということになります。

きっと、そんなことへの感謝の気持ちとして、柳沢神社の碑が建てられたのではないでしょうか?本家本元の大和郡山の柳沢神社ができてから10年後の明治23年の建立です。

先人たちの仕事を評価し、感謝する。そんな先人たちのいたことを伝えている私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 8日 (日)

風越隊道

昨日の続きですが、虚空蔵菩薩さんを祀っている石祠の下には、朝穂堰が流れています。
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ちなみに、朝穂堰は「あさほ」と呼びます。浅尾(あさお)堰と穂坂(ほさか)堰が一緒になってつけられたのが、朝穂(浅の「あさ」+穂の「ほ」=「あさほ」)堰だからだそうです。

今みることのできるトンネルは、昭和50年に改修された姿ですが、トンネルがほられた苦労が石碑に刻まれています。
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三之蔵村、宮久保村、三津沢(三ツ沢)村では昔から水に大変苦労していたが、山口八兵衛源政俊が風越山のトンネルの掘削を成功させて、水を得ることができるようになった。といったようなことが刻まれています。
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石碑には享保3年が刻まれています。享保3年は1718年ですから、今から296年前の出来事ということになります。

先人たちの努力の証をいまなお現地で読み取ることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 7日 (土)

トンネル

たまに通る韮崎と明野を結ぶ風越トンネル、通るたびに気になるトンネル手前の山の斜面にある祠。。。
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なかなか立ち止まる機会がなかったのですが・・・、久々に立ち寄ってみました。
祠の中には、石仏が納められていました。
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調べてみると、虚空蔵菩薩さんのようです。

実は、この虚空蔵菩薩さんを祀った石祠は、水不足に困っていた穂坂地域のために作られた穂坂堰ととても関係が深いようです。

浅尾堰の水を引くために風越隊道(トンネル)を掘削したのですが、その工事がとても大変で、成功を祈願されたもののようです。
なんと、今から300年ほど前の江戸時代の頃のことです。

先人たちの祈りの力と努力の姿を垣間見ることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 6日 (金)

山の神(竜岡)

思いがけず、知らなかった新しい発見をするとなんだか嬉しいものです。

竜岡の坂上地区を歩いていると、小さな石鳥居があることに気が付き、そこまで行ってみると、石鳥居の奥には祠があり、なんと、弓が奉納されていました。
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山の神を祭った祠なことがわかりました。残念ながらいつ作られたものなのかは分かりませんでしたが、いまでもお祭りは行われているようです。
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山から離れたこの場所になぜ山の神様が祭られているのでしょうか?なんだかフシギです。

祠も石鳥居も小さいけど、地域の文化を伝えている、そんな遺産に出会える私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 5日 (木)

富士山

日本を代表する山といえば、いろいろなご意見はあるでしょうが、やはり富士山ではないでしょうか?

その富士山がきれいに見える場所はどこ?

それこそ、人それぞれ違うのではないでしょうか?

私の住むまちから富士山を見ると、目の前には甲府盆地、富士山の手前には御坂の山々が広がっているので、富士山がとても大きくそして、優雅にみえるような気がしています。
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現在、世界遺産になるようにいろいろなことが進められているようですが、世界遺産になってもならなくても、日本を代表する富士山の魅力が発展的に継承されるようになればいいな~と・・・。

富士山の雄大さを感じさせてくれる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 4日 (水)

火の見櫓~穂坂宮久保~

なんとも古めかしい火の見櫓?に出会いました!
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一本の木の柱に鉄の棒が互い違いにつけられていて、柱のまんなかくらいに鐘がつりさげられています。
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その鐘も小さいながらも、お寺にあってもおかしくないくらい趣のあるものです。
面白いな~と思いながら、ふと公民館の建物を見てみると、なんだかよく見る建物の屋根のつくりとはちょっと違っていて、トタン屋根だけど、昔話にでてくるお寺の屋根の形に似ているような・・・。

ふと気がつくと、身近な所にフシギなそして、趣のあるもののある私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 3日 (火)

丸石神~若宮八幡~

甲斐の国を中心に、というよりも独自といってもよいのかもしれない、フシギな神様に丸石神をあげることができます。

その名のとおり、丸い石を祭っているのです!

河原にいけば、丸石はいっぱいあると思いがちですが、大きくてこれだけ丸いものはそうは見つかりません。

自然にできた丸さなのでしょうか?それとも人工的に作られた丸さなのでしょうか?いろんな丸石神に会いたくなってきてしまいます。

若宮八幡さんの境内にも丸石をたくさんまつっている空間がありました!
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丸い石に神秘性を感じた先人たち、そしてその先人たちの感じた神秘性を体感できる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 2日 (月)

身近な鎮守へ(若宮八幡さん)

Sdscn1331「かわらべさん」の愛称で地元で親しまれている神社さんへ参拝にいってきました。大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)が御祭神です。ちなみに、この神様は仁徳天皇のことだそうです。

御祭神以外にも、金毘羅さんなどの神様が祭られているようです。ところで、金毘羅さんは海上交通の守り神・・・、なぜ、これほどまでにしっかりと祀られているのでしょうか?ちょっとフシギに思ってしまいました。

金毘羅さんの階段の手前には、竿に龍の刻まれた石灯篭があります。なかなか力強い龍です。
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何度も足を運んでいるけど、行くたびに何かフシギなことに出会える私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 1日 (日)

2012年元旦(倭文神社・武田八幡宮)

新たな年を迎え、本年のスタートを迎えることができました。

私の住むまちの素敵な神社へ初詣でにいってきました。

まずは、倭文神社さんです。

倭文と書いて「しずり」と呼びます。織物の神様をまつっている穂坂の鎮守様です。
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そして、武田八幡宮です。
祈祷の太鼓の音が境内に響き渡り、新たな年を迎えるにふさわしい雰囲気です。
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おごそかな雰囲気の中で、一年のスタートを迎えることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。






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