風越隊道
昨日の続きですが、虚空蔵菩薩さんを祀っている石祠の下には、朝穂堰が流れています。
ちなみに、朝穂堰は「あさほ」と呼びます。浅尾(あさお)堰と穂坂(ほさか)堰が一緒になってつけられたのが、朝穂(浅の「あさ」+穂の「ほ」=「あさほ」)堰だからだそうです。
今みることのできるトンネルは、昭和50年に改修された姿ですが、トンネルがほられた苦労が石碑に刻まれています。
三之蔵村、宮久保村、三津沢(三ツ沢)村では昔から水に大変苦労していたが、山口八兵衛源政俊が風越山のトンネルの掘削を成功させて、水を得ることができるようになった。といったようなことが刻まれています。
石碑には享保3年が刻まれています。享保3年は1718年ですから、今から296年前の出来事ということになります。
先人たちの努力の証をいまなお現地で読み取ることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。
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