ここ知っているけ?

2012年1月10日 (火)

天白サイホン

朝穂堰の続きですが・・・。

水は高い所から低い所に流れるのはだれもが知っていることではないでしょうか?

山あり谷ありの場所で水を流すにはどうしていたのだろうか?そんなことを考えていたら、「天白サイホン」の看板が目にとまりました。
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さて、行ってみると、昭和50年の天白サイホンのプレートがありましたが、堰の姿は途中で見えなくなってしまい・・・。反対側の山の斜面を見てみると、堰の続きらしきものが見えます。
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一度、谷に落として、反対の山の斜面に水を上げているのです!
まさに、サイホンの原理を使った技術です。しかもこの技術、すでに江戸時代にあったのですから驚きですよね!

先人たちの知力が大地に刻まれている私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 8日 (日)

風越隊道

昨日の続きですが、虚空蔵菩薩さんを祀っている石祠の下には、朝穂堰が流れています。
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ちなみに、朝穂堰は「あさほ」と呼びます。浅尾(あさお)堰と穂坂(ほさか)堰が一緒になってつけられたのが、朝穂(浅の「あさ」+穂の「ほ」=「あさほ」)堰だからだそうです。

今みることのできるトンネルは、昭和50年に改修された姿ですが、トンネルがほられた苦労が石碑に刻まれています。
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三之蔵村、宮久保村、三津沢(三ツ沢)村では昔から水に大変苦労していたが、山口八兵衛源政俊が風越山のトンネルの掘削を成功させて、水を得ることができるようになった。といったようなことが刻まれています。
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石碑には享保3年が刻まれています。享保3年は1718年ですから、今から296年前の出来事ということになります。

先人たちの努力の証をいまなお現地で読み取ることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2012年1月 7日 (土)

トンネル

たまに通る韮崎と明野を結ぶ風越トンネル、通るたびに気になるトンネル手前の山の斜面にある祠。。。
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なかなか立ち止まる機会がなかったのですが・・・、久々に立ち寄ってみました。
祠の中には、石仏が納められていました。
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調べてみると、虚空蔵菩薩さんのようです。

実は、この虚空蔵菩薩さんを祀った石祠は、水不足に困っていた穂坂地域のために作られた穂坂堰ととても関係が深いようです。

浅尾堰の水を引くために風越隊道(トンネル)を掘削したのですが、その工事がとても大変で、成功を祈願されたもののようです。
なんと、今から300年ほど前の江戸時代の頃のことです。

先人たちの祈りの力と努力の姿を垣間見ることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2011年6月26日 (日)

天狗の腰掛またまた発見!

穂坂の大山神社などで出会うことのできる天狗の腰掛。

またまた、出会ってしまいました。そこは神社などといった建物はなく、一見村はずれの場所・・・・・・。倭文神社からちょっと上に進んだところの右側にひっそりと草むらに隠れてただずんでいます。
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4つの石の柱で囲まれた中央には細長い石の棒が立っています。
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地元の方にちょっとだけお話を伺ったところ、山の神様をまつっているのだそうです。いつ頃から、祀られたのでしょうか?さらに、どうして、このようなフシギな形をしているのでしょうか?

ナゾだらけ。解いてみたくなるナゾに出会える私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。

2011年6月 4日 (土)

穂坂を流れる用水路

穂坂地域は水が少ない地域です。

だから、用水路や貯水池がたくさんあります。そのうちの一つ、朝穂堰です。穂坂小学校の脇を流れています。ちょうど、ここで、水を大きく二つに分けています。
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大切な水を分けるというとっても重要な任務を任されているところです。

さて、そんな朝穂堰とは・・・。oberiskuが説明するよりも、この看板を読んでいただいたほうが明瞭かも!
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先人たちの知恵と工夫と努力に支えられ、そしてそのことを子供たちが伝えている、そんな私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2011年6月 3日 (金)

趣のある橋

穂坂を流れる沢にかかる橋です。
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いつごろ作られた橋なのでしょうか?欄干のコンクリートもちょっとくずれ気味でした。きっと当時はおしゃれな感じだったのでしょうね。
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この橋を何人のひとが通ったのでしょうね。その人の数だけ、この橋への思い出もあるのかな~。そんなことをちょっと考えることのできる私の住むまち韮崎は素敵だと思う。

2011年5月 2日 (月)

趣のある民家(円野)2

中に入ってみると、何やら立派な碑が建立されている、趣のある建物がありました。
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明治天皇が行幸の時に休憩された建物ということです。

史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟指定されたようです。でも、現在は何の指定でもないようです?

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フシギに思い、調べてみると・・・。

明治天皇の行幸と関連したものを「聖蹟」として、指定したようですが、昭和23年6月29日の『官報』6435号の「昭和23年文部省告示第64号」で、一斉に解除されたようです。

でも、指定でないにしても、とっても趣のある建物ですよね。

いろんな歴史のつまった建物に出会える私の住むまち「にらさき」は素敵だと思う。

2011年5月 1日 (日)

趣のある民家(円野)1

円野の上円井を歩いていると、趣のある民家に出会うことが多いのですが、その中でもかなり目を引いたもの・・・。
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通りに面して、なまこ壁がなかなかいいと思いませんか?
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それに通りとお屋敷の門の間の石橋、本来の姿ではなさそうですが、なかなか立派な雰囲気ですよね。

建物のみならず、そばを流れる水路の水音を心地よく楽しめる私の住むまち「にらさき」は素敵だと思う。

2010年10月 2日 (土)

水もたまには高きに流れる?

 大草の南宮神社に向かう緩やかな坂道を歩いていると、なぜか水路の水が歩く方向と同じ向きに流れているのです!

 水は高い所から低いところに流れるはずなのですが・・・。
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もちろん、目の錯覚ですけどね、でも一瞬「?!」となりませんか?

歩いていると、ちょっとしたフシギなことに出会えることのある、そんな私の住むまち「にらさき」は素敵だとおもう。

2010年9月29日 (水)

見ザル・聞かザル・言わザル

歩いているといろいろなお石塔に出会います。その一つが、「庚申」とか「庚申塔」とか刻まれているものです。
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その中には、日光東照宮で有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿が刻まれたものがあります。
調べてみると、これは、「申」は「サル」と呼ぶことから「猿」と結びついて、猿が庚申の使いとされたことから、3猿が彫刻されるようになったようです。でも、よく見ると、2匹だけのものもあるようですが・・・。
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ちなみに、いずれも日本のへその一つを主張している大草町内で出会いました。
ところで、「庚申」って何でしょうね?調べてみたくなりました!

先人たちの思いで見守られている私の住むまち「にらさき」は素敵だと思う。

昨日にもまして、動きが力強くなったように感じました。成長しているんだな~とちょっと感動してしまいました。

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