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久々に火の見櫓を・・・。
よく見かけるタイプですが、足元の広がりがせまく、すらっとした形です。なかなか製作時期がわからない火の見櫓ですが、今回の火の見櫓の基礎になっているところに「昭和二十八年」と刻まれています。
ただ、土台と火の見櫓自体が一緒の時期なのかはよく分からず・・・。
それといつもと違うのが、村を見渡すいい高台にあるのですが、公共施設の敷地と道を隔てているんですよね~。
防災無線なんかが整った現在ですが、それでも火の見櫓が村を見守っています。そんな私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。←参加しています。。。。
コメントをいただいている方へのリコメント、また、いただいた方のブログ等へのコメントができていない今日この頃です。すみません・・・。
クリスマスですね!
サンタさんはソリに乗って空からやってくるからきっと火の見櫓にも目がとまるでしょうね。
ずーっと前に北宮地にある火の見櫓さんを紹介しましたが、今回のは歩いていなければ気がつかないだろうな~という火の見櫓さんです。
武田八幡宮の弐の鳥居からテクテクと坂を歩いていくと、もうすぐ石鳥居のところにつく直前の右側にある火の見櫓さんです。
決して高いものではありません。
13段のハシゴの一番上に鐘がぶら下がっています。でも、どこにも鐘を打ち鳴らすものがないのです?
ちょっとフシギな火の見櫓さんです。
でもしっかりとまちを見守ってくれています。←参加してみることにしました♪クリックお願いしますね!
昨日はいつもお世話になっている先輩のお宅へお招きしていだたきました。
一番下の子ももう小学1年生、一年前は「oberisukuのおじちゃん、かたぐるまして~」とおねだりしていたのに、ちょっと大人になったのかな~などと思っちゃいました。
そうそう、撮りためたわに塚のサクラの四季折々の姿をカレンダーにしてご家族にプレゼントしたら、と~っても喜んでいただけました♪
明日は仕事納めです。納まらないような気がしますが・・・。
と~っても久しぶりに火の見櫓さんを紹介します。
お天神講の習字書きの会場だった神山町武田にある公民館の敷地内に建てられている火の見櫓さんです。
古くから地域の公共の場所として使われていたのでしょうね。ゴミステーションまであります。今でもゴミを置きに来た人たちで世間話しをしたりするのでしょうか?地域のコミニケーションの場だったりするんですよね。
4つ足で、2本はまっすぐに、もう2本は斜めになっています。斜めの柱に梯子となるように横の棒が付いています。
吊り下げられている鐘が「まちを守ってるよ~」と誇らしげに見えるのは、天気が良いからでしょうか?
東京に住んでいた時には火の見櫓ってほとんど出会ったことがありませんでした。火の見櫓を見るたびに、見守ってくれてありがとうと思ってしまいます。火の見櫓がそれぞれの地域を見守ってくれている私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。←参加してみることにしました♪クリックお願いしますね!
ところで、火の見櫓にとっても興味のあるoberisukuですが、実は高所恐怖症だったりで・・・、あの上に登ればまちを見渡すことができるんだろうな~と思いつつも、足がすくんでしまうんですよね~。勝手に登ったら怒られてしまいそうですしね。
今日は午後から雨でしたね。外仕事には堪えるんですよね・・・、寒い時の雨って。
本日は新府城の近くで見つけた火の見櫓です。
木製で、上に登るために鉄の棒が対になって、9段あって、その先に半鐘が付いていてさらにその上には街灯があります。
そういえば、どこかで見たことがあるような・・・。
穴山町の稲倉穂見神社の近くで出会った火の見櫓と似ているのです。
でも、稲倉のものは半鐘が途中についていましたが、こちらのは一番高いところについています。きっと稲倉のものも本来は一番上についていたのだと確信しました。
さて、新府城のこの火の見櫓は広い通りではなくて、もっと狭い道沿いにあります。調べてみると、広い道が作られる前はこちらの狭い道の方が本通りの役割りを担っていたようです。しかも、実はさらに古い道があったそうです。
道にもいろいろな歴史があるんだな~と、思った瞬間です。
そして、この道は釜無川が荒れて甲州街道がだめになったときには、その代わりを担っていたようで、原路と呼ばれていたそうです。
何気なくある火の見櫓から道の歴史なんかを知ることのできる私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。
昨日の話の続きです。あの「御大典祭記念」の石道標の隣には実は火の見櫓さんが立っているのです。
6段の平面が四角いもので、3段目に踊り場みたいなところがありす。半鐘のぶら下がっているところには裸電球が付いています。よく見るタイプだな~と思いつつも隣に視線を移すと・・・。
「第一部喞筒置場」という看板のかかったコンクリの倉庫があります。
ところで「喞筒」は「そくとう」でポンプのことだそうで、消防ポンプ小屋だということになります。
ちなみに、タイトルに穴山町石水②としてあるのは昨年の5月22日に記事に同じ火の見櫓さんをすでに紹介してあったからです。
一度は通ったところだけど、また訪れてみると新たな発見に出会うことのできる私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。
明日は釈迦堂遺跡博物館で土偶作りやドングリクッキー作りの体験ができるイベントがあるんだそうです。ホームページを覗いてみたら、私の住むまちで発掘されたなんかすごそうなものが展示されているらしいので、それを見ながら、イベントを覗きに行こうかな~。
本日からはちょっと穴山町の石水地区を・・・。
歩いておかなければならない用事がありまして・・・。
そんな時に出会った火の見櫓さんからです。
七里岩の下を走る道を歩いていると、空き地があって、木の電柱らしきものが立っていて、しかもツタが絡んでいて、もう使われなくなったんだな~。と思いながら、近づいてみると・・・。
電柱さんではなくて火の見櫓さんでした。
柱に7段になるように細い鉄の杭を打ち込んであります。鐘は3段目に下げられていています。ちょっとフシギですよね。4段目以上は不要なことになってしまい、無用の長物みたいです。もしかしたら、もともとは一番上に付いていたのかもしれないですね。
それにしてもとってもシンプルな火の見櫓さんでした。
ツタも絡まり、今は人々から忘れ去られようとしているのかもしれない、でも「ムラを守っているんだ」と言いたげな火の見櫓のある私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。
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